
夏休みに入って四日が経ちました。
授業をして、振り返りをして、また次の日の準備をして・・・そんな日々のルーティーンがなくなって、なんとも物足りない感じのする日々です。
これまでのわたしだったら、休み=うれしい!最高!と思うのに、ちょっと心境が変わってきたのでしょうか。
さて、日々の授業がなくなってつくづく感じるのは、わたしは授業から元気をもらっていたんだということ。
週末、家でうだうだやっているときだって、授業準備をしたら妙に元気が出ましたしね。
もちろん、そんなに素晴らしい授業をしていたわけではなく、反省点もいっぱいあるのですが・・・日々子どもたちと顔を付き合わせることで、「育まれているもの」を肌で感じさせてもらっていたのかもしれません。
それにしても、
なぜ、そこまで元気になれたんだろう。単にやりがいを感じるだけではない理由があるような・・・。
それについて考えていたら、ふと「育てることの芸術(by ルドルフ・シュタイナー)」ってなんだろうという部分が明るくなってきました。
シュタイナー教育に影響を受けて心がけていることはいくつかあるのですが、そのうちの一つに学びを生きたものにするという考えがあります。
死んだ学び=知的な(冷たい)情報の羅列・収集、暗記学習など。頭に働きかける学び。
生きた学び=豊なイメージや、感動や驚き、喜びを伴っている学び。心(魂)や身体に記憶されるような学び。
知的なものだけだとその子の一部(頭)にしか働きかけられませんが、音楽や絵、詩歌、物語の力を借りてたぷたぷに肉付けされたものだったら、心や身体、感覚を含む、もっと深いところにまで働きかけることができます。
しかも、その働きかけはその子の中で生きつづける。
やせた土に光や空気、水や微生物を含ませて、ふかふかに耕していくプロセスとよく似ています。だから、しばらく寝かせる(忘れる)ということも込みで大切。何しろ、生きていますからね。
それをするためには、授業をするわたし自身が誰よりもその学習内容にときめいていなくてはなりません。ときめきを感じられて、乾いた情報に命が吹き込まれていくプロセスを体験できて・・・
そりゃあ、元気になれるというわけです!
元気っていうと「ファイヤー!」な感じがしますが、「水」や「土」や「光(風)」を含む、もっと静かな感じ=「いのち」としか言いようのないものを得られます。
学びを生きたものにする
このことばは何度も聴いていて、わかっているつもりでしたが、今やっと経験が追いついてきました。